先日映画「gifted/ギフテッド」をAmazonプライムビデオでレンタルして鑑賞しました。
まずはネタバレしないようにあらすじを簡単にご紹介します。
母親を亡くしたメアリーは叔父のフランクと一緒にフロリダで暮らしている。学校に通い始めたメアリーの驚くべき数学の才能に担任の教師が気がついて・・・・
クリス・エヴァンス
マッケナ・グレイス
クリス・エヴァンスはファンタスティック・フォーやキャプテンアメリカ、アベンジャー等に出演していることで有名です。
クリスは「ギフテッド」では静かな感じの演技をしています。地味な暮らしをしている肉体労働者といった風情でありながら実は天才の家系に生まれている元大学の教授といった役どころ。
メアリー役のマッケナ・グレイスはすごく可愛い美少女。そして天才子役だと思います。第2のダコタ・ファニングといった感じ。
7歳の少女メアリーがいわゆるギフテッドで。
ギフテッド(gifted)というのは、生まれつき通常よりも高い知的能力を持っている人のことです。
神様から与えられた贈り物「giftギフト」というニュアンスですね。
生まれつき与えられた遺伝等による「資質」が抜きんでている場合ギフテッドと呼ばれたりします。
特にすぐれた能力を持つ人の事を「talented」と呼ぶこともあります。こちらの言葉は「才能がある」という意味があります。アメリカではあることがうまくできると「You are so talented」とすぐにほめてくれるので「私ってすごいの?」と思ってしまう子供が多い気がします。
私もダンスを習っていてYou are so talentedと言われたことがありますよ。アメリカ人に。ジャンプが少し得意だっただけで全体的なダンススキルはたいしたことなかったんですが、このジャンプだけでニューヨークのダンススクールのオーディションに受かってサマープログラムに参加した経験もあるのだ。まさに一芸入学って感じで。
人間の思いの力って強いので思いこみであったとしても、ほめられ続けると本当の才能になっていくような作用があるのかもしれませんね。私の場合は思い込みの力が足りなかったせいか、何者にもなれませんでしたが。
海外では特別な才能がある場合にはその特性を伸ばす教育を行う場合があって、ギフテッド教育を受けている子供が多数います。
一芸に秀でている場合、その部分をさらに伸ばすような教育をしていくことが多いですね。
これが日本だと、文化的に能力平等主義的な考えがあるので「ギフテッド」の教育があまり浸透していない。
なんだか、あまりに抜きんでていると出る杭は打たれる的な存在になってしまうというか。
特殊な能力を持つ子供の場合、均一に能力を伸ばしていくような教育はどうなんでしょうね。なんだか更に伸びるはずの天才的な能力がうもれてしまうようでもったいない気がします。
特別知能が高かったり、一芸に秀でている場合は海外に行ったほうが特性を生かせるのではないかなと思ったり。
でもですね、映画「ギフテッド」を見るとgiftedの教育って海外に行ったからといって絶対に能力を活かせるわけでもないんだなと考えが揺らぎました。
ギフテッドの教育ってデリケートな側面があって難しいようで。
親が天才エリート教育を押しつけすぎると、神童メアリーの生みの親であるこれまた天才母のダイアンのようになりかねないんじゃないかと。
ダイアンは天才数学者だったんですけどね、途中で自らその道を絶ってしまうんですよ。それで弟のフランクはメアリーを姉のようにしたくなくて英才教育を受けさせたくないわけです。
そこにダイアンに天才教育を受けさせた母親のイヴリンがやってきてメアリーにこれまた英才教育をほどこそうとするような展開。
イブリンは教育に失敗して娘ダイアンの人生を台無しにしたことをわかっていないんですよ。フランクのほうがよっぽど姉の気持ちがわかっているのだ。
映画を見て思ったのは、伸びるはずの才能もうまくやらないとうもれてしまうってことです。
うまくいくと世に大きく貢献するような才能が開花する場合もあるんですけれども。
このあたりのところは結果が出てみないとわからない部分もあったりするので難しいですね。子供が「世に貢献などしたくない。普通でいたい」と思う場合もあるかもしれませんし。 本当に教育って何が正解なのか判断に困ることがあるのだなと感じます。よかれと思って英才教育を受けさせても子供の心の闇が深くなることもなきにしもあらずで。
生まれつきの天才とかってとてもうらやましく思いますが、実際は本人や家族が悩み深い人生を送っている場合があるのかもしれませんね。